芥子(けし)姫  

 黒田 麒麟



「うちはお金持ちなんです」
 突然、秋葉が言った。
「は?」
 意図が理解できない。当然、返答はこんな物になる。
「ですから、うちはお金持ちなんです!」
ダンッ、とテーブルを叩きつけながらさらに秋葉は言う。
「いや、そんな事言われなくても解るよ。普通の人が見たら資本主義に絶望する位お金持ちじゃないか」
 ハハハッ、と笑いながら肩をすくめてみせる。
「だーかーら、うちはお金持ちなんです!」
だが、秋葉はまるで狂ったかの様にそれだけを言い続ける。
 ・・・・いいかげん、腹が立った。
「一体お前は何が言いたいんだ、秋葉!」
 そう怒鳴ったその瞬間、ベッドの上で怒鳴っている自分を発見した。
「あ・・・・・夢か」
とたん、恥ずかしさがこみ上げ、同時に翡翠が起こしてくれたのであろうという事に思い至った。
「違う、コレは何て言うか・・・・違うんだ!」
と、あわてて傍で起こしてくれたであろう翡翠に言い訳する。
「あ・・・れ」
 が、翡翠はいなかった。
「た、助かった」
 幸い、翡翠が来る前だったらしい。
 ホッとため息を吐く。もし翡翠に見つかって秋葉にでも言われたら大変な事になっていた。
「さて、じゃあ翡翠が来るまでもう一眠りするか」
 しかし何であんな無意味な夢を見たんだろうな、と思いながら布団に潜り込む。
 ・・・・・
 ・・・・・
 ・・・・・眠れない。
 眠れない。眠れない。むしろ、目は冴えていく。
「あれ、おかしいな。昨日はそんなに早く寝たわけじゃないのに・・・・」
 その時、たまたま時計が視界に入った。
「・・・・・・!」
 その時計の針は、すでに十時を指していた。
「―――――――――――?!」
 声にならない絶叫を上げ、廊下を走りぬけ、階段を転がり落ち、ロビーの扉を体当たりで押し開けた。
「翡翠!」
ロビーに入り込むと同時にそう叫ぶ。
翡翠はといえば、何時もと同じ格好、何時もと同じ表情、何時もと同じ位置で何時もと同じ様に立っていた。
「おはようございます。志貴様」
 何時もと同じ挨拶。
「あ、おはよう翡翠ッてそうじゃない!翡翠!何で今朝は起こしてくれなかったんだ!」
起こしてもらっている側としては少し身勝手かもしれないな、と思いながらもそう叫ぶ。
・・・・いや、流石に十時までほって置かれたら怒ってもいいだろう。うん。
「すみません志貴様。ですが、今朝はどちらにせよ学校にはご通学出来なかったでしょうし、それならば現実を知るのはなるべく遅い方が良いだろうと思ったので」
そう、翡翠は眉一つ動かさずに答えた。
は?どっちにせよ学校には行けなかった?それに現実って・・・・・・・・・。
「翡翠、その現実って・・・・」
 現実って一体何の事なんだ?と言おうとして。
「何ですか兄さん、朝から騒々しいですよ」
 と言う秋葉の声に阻まれた。
「いや、翡翠に今日起こしてくれなかった訳を問い詰めようと・・・・って、秋葉!お前どうしてココにいるんだ!学校はどうしたんだ!」
まさか秋葉も琥珀さんに起こしてもらえなかったと言うのか!?いや、それ以前に秋葉は自分で起きてるんじゃなかったっけ?
「学校?ハハハッ、兄さん。私はそんな愚民共が通うような所に通ってなどいませんよ」
ホホホッ、と秋葉は少し壊れたような笑い方をした。
「あ・・・秋葉?秋葉さん?」
 あ、秋葉が、秋葉が壊れてる!?
 と、ちょうどその時琥珀さんが台所からやって来た。
「あ、志貴さん。おはようございます」
「あ、おはよう琥珀さん。あの〜、何か秋葉が壊れてるんですけど?あと、何で秋葉がまだココに?」
「ああ、それはコレですよコレ」
 そう言うと琥珀さんは嬉しそうに(少なくともそう見えた)笑って新聞を差出してきた。
「今日の新聞?」
そして、それの一面のデカイ活字にこう書いてあった。
『遠野グループ系列株大暴落!』と。
そのまま一面を読み進めていくと『相次ぐ倒産』『株式体制の落とし穴』『不況の波に飲まれる』等々の言葉がちりばめられていた。
つまり、今遠野グループはとっても危険な状態という事らしい。というか、この感じだと起死回生はどうも無理っぽい。
「あはは、秋葉様が休んだのはその所為なんですよ〜」
 と、琥珀さんは嬉しそうに(どうしてもそう見えた)笑っている。
 せめて新聞ぐらいよむべきだった。まさか世間ではこういう事になっていたなんて。
そう言えば学校でも俺を指差して何やらヒソヒソやっている奴らがいたな。てっきり俺の男ぶりが上がった所為かと思っていたが、クソッそういう事か。有彦の奴め、新聞ぐらい読んで俺に教えろよ(八つ当たり)。
そんな事を考えながらウンウン唸っていると、琥珀さんはニコニコ笑ってこう言った。
「まぁ、まぁ、志貴さんそう険しい顔しないでくださいな。昨日の夜、秋葉様が所有株を全部売ることを決めましたので借金取りに追われるなんて事はありませんから」
 俺は驚愕した。
「あ、秋葉!本当か?そんな事したらお前ただの一般人になっちまうんだぞ!秋葉=お嬢様の方程式が崩れるんだぞ!いいのか!」
そう言って、秋葉の肩を揺さぶる。
「いいのよ、兄さん達まで迷惑はかけられないもの・・・ウフフッ」
そう言って秋葉はガックリと肩を落とし、膝から崩れ落ちた。
「あ、秋葉。おい、大丈夫か?」
そのまま、何か面白い顔をしてさらに倒れそうになる秋葉を琥珀さんがすかさず受け止めた。
「志貴さん。秋葉様はその事でかなり落ち込んでおりますので、その話はこの位にしといてあげてください」
琥珀さんはニコニコ笑って言う。
「すみません。でも、秋葉が株を全部売ったって事はもう収入源が無くなったって事ですよね?これからどうすればいいんでしょうか?やっぱり、この屋敷を出て行かなくちゃいけないんでしょうか?」
そう尋ねると、琥珀さんはとても嬉しそうに笑って。
「大丈夫ですよ、志貴さん。いくらこの屋敷の維持費とかでも秋葉様が売った株のお金の残りでしばらくは大丈夫です。秋葉様や志貴さんには恩義もありますからその間に私が何とか大丈夫な様にします」
と言って、自分の胸をポンと叩いた。
「琥珀さん。な、なんて頼もしいんだ」
「こ、琥珀。信じていいのね?頼っていいのね?」
 と、俺たちが琥珀さんの頼もしさに歓喜している時。一人、翡翠だけが怪訝な顔をして琥珀さんを見ていた。
「姉さん、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。任せて翡翠ちゃん♪」
 と、琥珀さんはニコニコ笑って、親指を立てたりしている。
 だが、やはり翡翠は怪訝そうな顔をして琥珀さんを見ていた。


――――――それから、三ヶ月が経過した。


学校が終わり、何時もの様に帰宅する。
驚くべき事に、三ヶ月たった今も遠野志貴は前と変わらぬように学校に通えていた。
もちろん、屋敷も健在である。
秋葉は、何か色々とする事が出来た。
 と言って学校を辞めてしまったが、それも些細な変化と言っていい。
 本来なら、みんな屋敷を出て行って、俺も学校を辞めて働きながら秋葉と共にその辺のボロ屋で暮らしていたかも知れない。
 だが、今は琥珀さんのおかげで秋葉が学校を辞めたということ以外は全て前と変わらないのだ。
「琥珀さんには感謝してもし足りないな」
 うん、琥珀さんには多大なる感謝をしている。
 だが、一つ気になる事がある。それは・・・・
「一体、何処からあんな大金を持ってくるんだろう?」
 そう、それが酷く気がかりだ。
 先にも述べた様に、遠野志貴の生活は妹が学校を辞めたと言う以外まったく変わっていない。
 飯も豪華なままだし、屋敷の電力は全体に行渡っているし、風呂もちゃんと沸く、怖いオッサンが金払えと脅しに来たりもしない。いや、琥珀さんの知り合いと言う怖いオッサンが来るようになったがアレは関係ないだろう。
 とにかく、遠野志貴の生活はほぼ元のままである。前は遠野グループが運んで来るお金で維持していたような生活なのだ。アレを維持するためには相当のお金が要る。一体、琥珀さんは何処からお金を持ってくるんだろう?
「気になる。思い切って琥珀さんに聞いてみるか」
 丁度そう呟いたころ、うまい具合に屋敷の門の前に着いた。
「お帰りなさいませ、志貴様」
 またもうまい具合に、今日は翡翠が門で出迎えてくれた。
「ただ今、翡翠。あのさ、今琥珀さん何処にいるか解る?」
 そう尋ねると翡翠は少し思案する様な表情を見せて。
「姉さん・・・ですか?今の時間なら多分中庭の庭園の辺りにいると思います」
 そう、翡翠は何時もの無表情で答えた。
「そっか、翡翠、ありがとう」
 そう言って中庭の方に走り出す。
「あ、志貴様!お待ちください!」
そう呼び止める翡翠を無視して中庭の方に向かう。翡翠があんなに大声で呼び止めるなんて、恐らく秋葉に何か言われたのだろう。まったく、大体アイツは過保護すぎる。
屋敷の側面を抜け、中庭の方に出る。
すると、其処にはとてもデンジャラスかつ驚くべき光景が広がっていた。
「こ、これは!」
 花!花!花!花!花!花!花!花!花!花!花!?
中庭一面、それこそ人が通れるギリギリのスペースだけを残して一種類の見慣れない花がおぞましいほど咲いていた。
 この花、見た目は可愛いのだがなぜか妙な毒々しさを放っていた。
・・・いや、この花。確かに見慣れないが前に一度見たことがある。たしか、琥珀さんに一度写真で見せてもらった気が・・・・・だとすると・・・・コレは・・・。
「・・・・ケシの花・・・って事か」
そう、この中庭におびただしく咲いている花は、間違いなくケシの花だった。なるほど、怖いオッサンたちがうろつくはずだ。
「ありゃりゃ、ついにバレてしまったんですね志貴さん♪」
 そんな陽気な声をだしながら、琥珀さんが後ろからやって来た。まるでいたずらが見つかった子供みたいな表情をしている。
「こ、こ、こ、琥珀さん!な、何なんですかこれは・・・・」
 と叫びかけて。
「まったく、何ですか騒々しい!」
と言う秋葉の声に打ち消された。
「あ、秋葉。丁度いい、見てくれよコレ。中庭一面にケシの花が・・・・・」
「知っています」
 俺はその言葉に思考が止まりそうになりながら「へ?」と言うだけで精一杯だった。
「だから、知っていると言ったんです」
 そう、秋葉はさも当然と言うように堂々と言った。
「秋・葉?ケシの花ってのは麻薬の原料になるんだぞ?栽培するのは法律で禁止されているんだぞ?」
「ええ、知っています。しかもコレは琥珀が遺伝子改造した物で、通常の三倍はカッ飛べますから違法中の違法でしょうね」
 と、秋葉はとてもデンジャーな事をサラりと言った。
「あ・き・は?」
「だから知っていると言っているでしょう!何度言わせれば気が済むんですか兄さんは!」
 秋葉は怒っている。
「大体、兄さんは気づいてなかったんですか?琥珀一人でこういう事もせずにあんな大金を稼げるとでも思っていたんですか?一体私が学校を辞めて何をしていたと思うんですか?」
何って・・・・・何だろう?
「アハッ、秋葉様にはココの管理を手伝ってもらっていました」
そう、琥珀さんは実に無邪気(いや、邪気はあったろうが)に言った。
 俺の脳内が沸騰した。
「ああああ、秋葉!お、お前いいのか?麻薬だぞ?犯罪行為だぞ?お前、遠野家の当主としての誇りは、プライドは何処行ったんだよ!」
秋葉は少し俯いたが、キッとやや涙目で俺を睨み返して。
「先立つ物が無いと誇りもプライドも通りません!それとも何ですか?兄さんは誇りやプライドがお金をくれるとでも言うんですか?」
そんな事を涙目で言うわが妹に『ああ姿形は変わらずとも、すでに妹は大きく変わってしまったんだなぁ』と痛感してしまった。
「まぁ、まぁ、志貴さん。結局秋葉様の言ってる事は正しいんですから。とりあえず今までバレてないし、これからもきっと大丈夫ですよ」
そう言って琥珀さんはニコニコ笑っている。
・・・いや、そういう問題じゃないんだけどな・・・・・・・・・。
 と思ったが、すでに屋敷の豪華な暮らしにどっぷり慣れてしまっている自分がいたし、今更秋葉とボロ屋暮らしをするのは嫌だったので。
「解りましたよ。でも、本当にどうなっても俺は知りませんよ。俺に責任はありませんからね」
と、なんとも自分勝手な忠告だけを残してそれを忘れることにした。


―――――そして、さらに二週間が経過した。


ある小鳥のさえずる気持ちのいい朝、突然それは起こった。
「警察だ!麻薬取締法違反の疑いで逮捕する!」
突然ロビーのドアを蹴破って入ってきた刑事たちがそう言った。俺は盛大にモーニングコーヒーを吹き出した。
「チッ、口止め料をケチったのが不味かったか」
 琥珀さんが小声でそう言っていた。
・・・・・・・まったく、そういう事はちゃんとやってほしい物だ。
俺はこんな状況にもかかわらず冷静だった。何故なら、自分は絶対捕まらないという自身があったからだ。
刑事はなおも言う。
「首謀者はだれだ!首謀者を連行する」
 俺は秋葉と琥珀のどちらが行くのだろうと二人を見た。
 すると、二人はどちらも手を上げず・・・いや、二人どころか翡翠まで腕を伸ばし指をビシッと突き出していた。
そう・・・・そしてそれらの指し示す方向とは・・・・・・・。
「え、俺?」
 そう、俺だった。
「お前か!む、そう言えばお前だけ男だな・・・・コレは間違いない!」
 そんな事で決めるのか!?なんていい加減な刑事なんだぁああああああああああ!
 もともと口下手な俺に自分自身の弁護を刑事相手にうまく出来るはずもなく。半ば自白する(強引に押し切られた。恐らく琥珀さん辺りが裏工作をしたと思われる)形で俺の有罪は決まった。
俺は、しばらく独房で臭い飯を食う羽目になった。
 
   
           余談だが、面会に来た秋葉達に俺が会うことはなかった。 

                                    END     


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